2000年代 最強ストッパーは誰だ!!(セリーグ編)
こんにちは😃
さて今日は、試合に僅差で勝つ時には欠かせない、プロ野球のストッパーについて紹介していきたいと思います。今回はセリーグ6球団について見ていきましょう。(2000年代です。)(個人的偏見も多いです毎度同じく)
まずは••
巨人
河原純一投手
巨人(1995~2005)→西武(2005~2007)
→中日(2009~2011)
河原投手が巨人のストッパーを務めたのは主に2002年のこと。この年、原監督が就任し、河原投手を抑えに抜擢しました。すると見事原監督の抜擢が的中! 49試合に登板し28セーブを挙げました。巨人のその年の優勝に大きく貢献しました。日本シリーズでは胴上げ投手にもなりました。彼は伸びのあるストレートと落差のあるフォークを武器に、相手打線を封じ込めていきました。
ヤクルト
高津臣吾投手
ヤクルト(1991~2003,2006~2007)
高津投手は通算286セーブを挙げ、現在NPB歴代2位となっております。1994年、1999年、2001年、2003年に最優秀救援投手のタイトルを獲得しました。彼の特徴と言えば、サイドスローから繰り出される鋭いシンカー。セリーグの左の強打者をバタバタと三振にとっていきました。私の大ファンである松井秀喜選手の天敵でもあります。(松井秀喜選手のプロ入り初ホームランは実は高津投手から) 高津投手はまた、メジャーリーグ、日本プロ野球、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験したプレーヤーでもあります。
藤川球児投手
阪神(1999~2012,2016~現在)
藤川球児投手といえば、阪神の中継ぎ抑えの黄金時代、JFKの一角を担っていたFです。なんといったって藤川投手の魅力といえば、ストレート! あんなにストレートで空振りが取れていた投手は本当に数少ないと思います。藤川投手は入団してからしばらくの間伸び悩んでいました。そんな彼が覚醒したのは2005年。2004年の途中からでしたが、フォームを改造しました。今までは右膝が地面に付くようなフォームで腕も低い位置から出ていたのが、改造後は膝は全く地面に付かず、腕も上から出るようになり、あんなにすごい回転数を持つ火の玉ストレート🔥を投げれるようになりました。2005年2006年に最優秀中継ぎ投手、2007年2011年に最優秀救援投手のタイトルを獲得しています。現在もかつてほどのすごいストレートは投げれてはいないですが、2018年も21ホールドをあげ、防御率も2.32と良い成績を残しています。
中日
岩瀬仁紀投手
中日(1999~2018)
中日の抑え投手といえば、やはり岩瀬投手でしょう。NPB最多登板数、最多通算セーブ数の記録を持っています。(登板数は1002,セーブ数は407) 2005年2006年2009年2010年2012年に最優秀救援投手のタイトルを獲得しました。通算の防御率も2.32と大変低い数値です。実は1999年、2000年、2003年には最優秀中継ぎ投手のタイトルも獲得しています。そんな岩瀬投手の特徴と言えば、スライダー、でしょう。左打者から逃げていくキレの良いこのスライダーはたくさんの強打者を手玉にとっていました。そんな岩瀬投手を抑え投手として使い始めたのは落合監督です。落合さんはやはり見る目があります!
横浜
マーク•クルーン投手
横浜(2005~2007)→巨人(2008~2010)
やはり2000年代の抑えとして外せないのがクルーン投手。あの豪速球はなかなかとらえられません。スリークウォーターから繰り出される、あの超速球とSFFの組み合わせで三振の山を築きました。ストレートは当時の日本最速162キロ、SFFは151キロ、速すぎます笑
150キロ超の落ちる球なんてバットに当たる気がしません。日本在籍6年間で177セーブを挙げています。2008年には最優秀救援投手のタイトルを獲得しています。(41セーブ)
広島
永川勝浩投手
広島(2003~現在)
永川投手といえば、フォーク! 投球の半分弱ぐらいはフォークでした。そのフォークには大きい落差のフォークと、速く小さく落ちるフォークの二種類あり、それをうまく使い分けていました。2003年から2009年までは、奪三振率が大変高く、2006年には投球回が70回で86奪三振も奪っています。(つまり1イニングに必ず1は三振を奪う計算)
このところ調子を落としていますが、ぜひあの頃のフォークのキレを取り戻し、バッタバッタ三振に切っていくプレースタイルに戻って欲しいです。
セリーグ編はこれで以上です。
またパリーグ編もやっていこうと思います!